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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)12422号 判決

原告(反訴被告) 殿塚トミ

右訴訟代理人弁護士 竹原祇薫

被告(反訴原告) 有限会社丸吉商事

右代表者代表取締役 古田二郎

右訴訟代理人弁護士 山本治雄

主文

原告(反訴被告)を所有者、被告(反訴原告)を地上権者とする別紙目録記載(一)の土地のうち別紙家屋図面(三)記載の土地(および斜線部分四二・六八五二平方メートル)に対する法定地上権の賃料は昭和三四年一〇月八日から昭和三八年一二月三一日まで三・三平方メートル(坪)当り月額(以下同じ)金一二〇円、昭和三九年一月一日から昭和四〇年一二月三一日まで金一三一円、昭和四一年一月一日から昭和四二年一二月三一日まで金一四五円、昭和四三年一月一日から金一六四円と定める。

反訴原告(本訴被告)が別紙目録記載(一)の土地のうち別紙家屋図面(三)記載の部分(および斜線部分四二・六八五二平方メートル)につき地上権を有することを確認する。

反訴原告(本訴被告)のその余の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

一  本訴

1  原告(反訴被告)

「原告(反訴被告)を所有者、被告(反訴原告)を地上権者とする別紙目録記載(一)の土地に対する法定地上権の昭和三四年一〇月八日以降の地代額の確定を求める。

訴訟費用は被告(反訴原告)の負担とする。」

との判決を求めた。

2  被告(反訴原告)

「右法定地上権の昭和三四年一〇月八日以降の地代額を一ヶ月金一五六〇円(三・三平方メートル当り金一二〇円)と確定する。

訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。」

との判決を求めた。

二  反訴

1  反訴原告(本訴被告)

「反訴原告(本訴被告)が別紙目録記載(一)の土地のうち別紙家屋図面(二)の赤線で囲まれた部分につき、反訴原告が地上権を有することを確認する。

反訴費用は反訴被告(本訴原告)の負担とする。」

との判決を求めた。

2  反訴被告(本訴原告)

「反訴原告(本訴被告)の請求を棄却する。反訴費用は反訴原告(本訴被告)の負担とする。」

との判決を求めた。

(当事者の主張)

A  本訴

第一請求の原因

一1 別紙目録記載(一)の宅地一六〇・二三平方メートルは昭和二二年一二月原告が訴外倉持芳夫から買受け、昭和二九年二月五日所有権移転登記をし、本件土地上に昭和二七年二月二八日から別紙目録記載(二)の建物を所有していたが、その後右建物のみを原告の長男殿塚新太郎の債務のため抵当権を設定していた。

2 ところが、昭和三一年一二月四日右家屋に対する一番抵当権者株式会社日本相互銀行から競売法による競売の申立があったところ、大川内利朗が先順位の債権者の債権全部を代位弁済したので当然右日本相互銀行に代位しその結果債権者大川内利朗、債務者殿塚新太郎、所有者殿塚トミ間の東京地裁昭和三一年(ワ)第一、八四二号競売事件により右家屋の競売がなされた。

3 昭和三三年一二月一八日被告に競売許可があり、昭和三四年一〇月八日代金全部の支払がなされ、被告において所有権を取得し(同年一一月六日所有権移転登記)、これにより右建物敷地である別紙目録記載(一)の土地について法定地上権を取得するにいたった。

二1 しかし、右地上権の賃料につき当事者間に協議が調わないので、その確定を求める。

2 なお、本件土地は三輪方面にいたる都電合羽橋停留所附近で、飲食店営業用什器一切を取扱う問屋街で、電車通りから約一〇メートルの横町八メートル道路に位置する商業地である。昭和三四年以降の附近地代(および固定資産評価額・税額)は別表(一)記載のとおりであるから、本件土地についてもこれと同額の賃料が相当である。

第二答弁

一1 原告主張の請求原因一の12は認める。

2 同一の3の事実のうち、地上権の範囲は争う。その余の事実は認める。

右地上権の範囲は原告主張のように、本件建物の庇部分を含まない建物敷部分のみに限定されるものではなく、本件建物利用に必要な敷地まで及ぶものであって、その具体的範囲は反訴請求原因記載のとおり、四三・六八平方メートルである。

第三地上権の範囲についての被告の主張に対する反論。

一 別紙土地図面①の部分(三七・二〇平方メートル、一一坪二合二勺)は、改造した現存の被告所有の建物敷で(土台を越えた外郭部分前面軒下部分を含む)、競落取得当時の家屋敷地三三・一九平方メートルと若干相違するが、右の土地の範囲が法定地上権の範囲に属することは原告も認める。しかしながら、その余の部分についてはこれを有しない。その詳細は反訴に対する答弁記載のとおりである。

B  反訴

第一請求の原因

一 別紙目録記載(一)の東京都台東区松ヶ谷二丁目四五番地宅地一六〇・三三平方メートルは原告の所有であるところ、被告は本訴請求原因一の12記載の経緯で右土地のうち本件建物の敷地部分につき法定地上権を取得したものである。

二 そして、その範囲は本訴の答弁二に記載したとおり建物利用に必要な敷地まで及ぶのであって、別紙家屋図面(二)記載(赤線で囲まれた部分)のように、四三・六八平方メートルである。すなわち、

前面は三・八五メートルと〇・二三メートルおよび〇・四〇メートルを加えた四・四八メートル

側面は九・四三メートルと〇・三二メートルを加えた九・七五メートル

よって、右両者を乗ずると四三・六八平方メートルとなる。

(ただし、距離はいずれも柱の外面から外面まで。〇・二三メートルは、右側柱の外面から隣地境界までの距離、〇・四〇メートルは右側中部の庇巾である。

第二答弁

一 請求原因事実一は認める。

二 同二は争う。(被告主張の距離関係は認める)

1 別紙家屋図面(二)中②の屋根部分と題する求積のうち12の合計三・一六四七五平方メートル(九合九勺)は地との間隔部分であるが、その北の端東側には原告所有家屋の便所があり、その北西側に窓が設られているので、その間隔僅か〇・三〇メートル程度の空間があればこそ、南風が通り、臭気を発散させることもできるのである。従って、本件土地は原告にとって必要欠くべからざるもので、被告の建物の利用に必要な限度として法定地上権の当然及ぶ範囲ではない。

また、右家屋図東側34の屋根の突出部分である二・七六平方メートルと〇・一八一八平方メートル計二・九四一八平方メートルおよび北側の突出部分5の〇・五三四平方メートル合計三・四七五六平方メートル(一坪五合)には地上権は及ばない。

すなわち、右東側34の屋根の突出部分は被告が競落後原告に無断で改築して突出させたものである(もっとも、その内霧除部分には従前すでに突出していたものもあったが、これについては右家屋を賃借していた殿塚新太郎において権原なくしたもので、原告は事実上これを放任していたにすぎない)ばかりでなく、右の部分は傘をさして通行する巾もなく、雨降りの際は雨水のはね返りを受ける状態で、原告の公道への出入用通路の一部であって、この部分についてまで地上権を容認する義務はないものというべきである。

(証拠関係)≪省略≫

理由

本訴、反訴につき判断する。

一  被告主張の経緯により被告が本件建物の敷地につき法定地上権を取得したことは当事者間に争がない。

二  そこで、右法定地上権の範囲について判断する。

1  別紙目録記載(二)の現存建物の建物敷(土台線を超えた建物外郭部、前部軒下部分を含み、両側面および北側の庇部分を含まない。)である別紙土地図面記載①の部分三七・二〇平方メートル(一一坪二合二勺)については、競落当時の増築前の旧建物の敷地部分三三・一九平方メートルと若干の相違があるが、被告に法定地上権の存することは原告の認めるところである。

2  しかしながら、右法定地上権が厳格に原告の認めた範囲にとどまるものとする理由にとぼしく、競落建物として利用するに必要な限度で敷地以外の部分にも法定地上権が及ぶものと解すべきであり、その具体的範囲は抵当権設定者、抵当権者、競落人の間で抵当権設定又は競落に際しその建物の利用価値として通常予期される土地使用範囲で認めるべきである。したがって、抵当権設定競落当時右関係者の間で右のようなものとして通常予期されえないような特殊な事情については後に地上権の範囲を確定するに当ってこれを考慮すべきではないものと解される。

3  原告の否定する建物の庇部分の敷地は通常建物利用上当然必要なものとして法定地上権が及ぶと解され、本件建物西側庇の敷地部分が本件建物の北側に現存する原告所有建物の便所の臭気の発散、風通しのための唯一の空間であるとの特異な事由を理由に右西側庇の敷地部分について法定地上権を否定することはできない。のみならず、≪証拠省略≫によれば、右原告所有の建物は競落当時にはなく、昭和四一年被告に対する引渡しを完了した後に、建てられたものであることが認められ、本件建物の競落当時原告の建物について右のような必要性を生ずることを予期し、これを考慮にいれて本件建物敷地の利用が考えられ競落されたものでないことは明らかであるから、この部分について被告の法定地上権を取得しなかったとすることはできない。

4  本件建物の東側庇部分は原告主張のように競落後張出されたものであることはこれを確認する証拠はなく、(二階の一部を増築し一階と同一床面積に拡げたことは≪証拠省略≫によって認められるが、二階が一階の床面積を超えない以上これによって直ちに従前の建物よりも東側に張出されたものと推断することはできない。また、東側中央附近に〇・四メートル巾で窓の戸袋が張出していることが証人殿塚新太郎の証言によって認められるがこれも競落後被告において取りつけたと認めうる資料はない。)たとい、厳格に一致していないとしても、従前の建物よりも長く張出されたと見わけられる特段の事情の認められない現在の建物の東側庇部分は競落された当時の建物の法定地上権の範囲内にあると推認するのが相当である。

また、右庇部分敷地が原告主張のような通路の一部として使用されることは競売当時関係者において予期されていた形跡も見当らない。(前記のとおり厚告が本件建物を被告に引渡し本件建物の北側に原告所有建物を建築したのは昭和四一年一〇月ころである)本件建物敷地を除くと原告所有地部分が別紙土地図面斜線部分となるであろうことは競落当時これを予想しえなかったとはいいきれないとしても、右残余地は極めて狭く、原告がここに建物を建築し、本件建物東側部分を通路として使用することは通常予想しうるものとは認め難く、これを認めるべき資料もない。(現在右通路入口部分に木戸入口が設けられているが、右は原告所有建物建築後に作られたものであることが≪証拠省略≫によってうかがわれる。)

それならば、本件建物の東側部分の庇の巾〇・三〇メートルおよびこれから張出した戸袋部分(巾〇・一〇メートル長さ一・八一八メートル)にも地上権は及ぶものと解すべきであり、これを除くその余は特にその使用の必要があると認めるべき理由は見当らないから、これについては地上権は及ばないというべきである。

5  本件建物の北側の庇部分は競売当時から下屋があり(現在は屋根の庇が出ている)ことが≪証拠省略≫によって認められるから、この部分についても地上権が及ぶというべきである。

6  そうすると、被告は本件土地のうち、別紙家屋図(一)の部分と同図面の斜線部分(西側については隣地の境界までの〇・二三メートル)、前部軒下部分(同図面部分を含む〇・三二メートル巾で右両側庇端の間)合計四二・六八五二平方メートル(別紙家屋図(一)の部分および斜線部分)につき地上権を有するものと認められる。

三  そこで賃料について判断する。

1  ≪証拠省略≫によれば、本件土地は都電合羽橋電停から約一〇〇メートル、電車通り商店街から西に約二〇メートル入った北側にあり、附近電車通り商店街は営業用飲食店什器類を扱う問屋街であることが認められるところ、≪証拠省略≫によると、本件土地の三・三平方メートル当り賃料は昭和三四年度が五五円、昭和三六年度が八八円、三九年度が一三一円、昭和四一年度が一四五円、昭和四三年度が金一六四円であることが認められる。

2  しかして、被告が昭和三四年度以降月額金一二〇円として賃料支払を申出(原告もまた昭和三四年度において三・三平方メートル当り金一二〇円を相当賃料として主張している)ことを考慮すると、本件法定地上権の設定された昭和三四年一〇月八日から昭和三八年一二月三一日までは三・三平方メートル(坪)当り月額(以下同じ)金一二〇円、昭和三九年一月一日から昭和四〇年一二月末日まで金一三一円、昭和四一年一月一日から昭和四二年一二月三一日までは金一四五円、昭和四三年一月一日以降は金一六四円と認めるのが相当である。

≪証拠省略≫によると、昭和四二、三年度における電車通りに面したところでは三・三平方メートル当り月額金三八〇円、その後方で一ヶ月金二〇〇円ないし金二五〇円であるとの証言があるが、右鑑定の結果を否定し直ちにこれを採用するに足りない。他に前記認定を動かす証拠はない。

四  以上のとおりであるから、被告の本訴請求は前記三の2で認定した金額を相当と認めこれを以て本件法定地上権の賃料と定め、被告の地上権の範囲確認の反訴請求は前記二の6で認定した範囲で正当と認めてこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺卓哉)

〈以下省略〉

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